道に迷いし哀れな小羊

 

何でだろうか、どこもかしこも、表面的な部分で生きてるだけの顔のない人ばかり。自分を持ってない、自分の言葉を使わない、本来の自分で生きていない。

 

だから簡単に支配される、支配されて後から不満を嘆いても遅い。自分達自らがそうなるようにしてるから、そうなる。

 

もっと自分の話を理解できる人はいないのか。上っ面でその場しのぎで生きて、世間に流され誰かの目を気にして同じにする事が正しい事だと思い込んでる。

 

誰かが笑わないと笑わない、誰かが何かをしないと行動せず、誰かの行動や顔を見て全てを決める。自分ではない何者かの支配下、それが99.9%の洗脳された操り人形、支配され利用され搾取されるだけの奴隷、家畜。そんな獣に成り下がってる人ばかり。

 

どこを見ても、何を見てもそんな人ばかり、何かを解ってるつもりで何も解っていない。そんな人達ばかりの世の中、いい世の中であるわけもなく、誰もが不満や怒りを抱え、そのストレスのはけ口のために平然と人の心を踏みにじる、世の中にはそんな事しかない。

 

欲望にすがり、大切なことを忘れ去り獣としての自分を受け入れ正当化する。

 

熱い想いを語らない、冷めた目で悟ったつもりになり、皮肉の笑みを浮かべる。愛も正義も勇気も希望も夢もない、優しさもない、赦しもない、あるのは色欲、物欲、金銭欲、それにすがり生きてるだけの欲望の塊。

 

 

どんなに優れた知識や情報を語る人がいても、結局はその人もその他大勢に成り下がり自分のした話を忘れたかのように、同じ顔のないかかしとなる。

 

 

嘆きと憤り、そんな心で生きるしかないのだろうか、この世の中。

 

 

でも自分は、とても幸せでいる、こんな自由でいられる自分を誇り、今を感じて、今の幸せを大切にして生きている。決して卑屈にならず、怒らず、ただ今を生きる。

 

荒んだ心を持っている無駄な時間はない、ネガティブ意識など自分には不要、人より何かを余計に得たいなどとも思わず、今ここにあるものだけで生きる。

 

 

生きる物事以外の時間は、ただ目を閉じて、無心となり、0となり、瞑想し、精神をより深い思考、心へと導きたい。

 

何もないから自由でいられる、0が自分を自由にしてくれる。